加藤清正公墓碑

(櫛引地区)寛永9年(1632年)6月1日熊本城主加藤肥後守忠広公は幕府の忌諱に触れ領地52万石を没収せられて庄内藩守酒井忠勝公に預けられ丸岡一万石に移封された。在住22年承応2年(1653年)当地に没したが、その2年前の慶安2年には母堂即ち、父清正公の御正室も当地に於いて逝去された。その後父清正公のお骨も丸岡に埋葬されていることが伝えられて来たが、昭和24年12月天澤寺境内の五輪塔の下見調査の結果肥後の国弓野焼の壷に納っている御骨を発見した。山形県指定史跡(昭和38年)

石原莞爾の墓

元陸軍中将で鶴岡市の生まれ。終戦後の昭和21年に飽海郡高瀬村(現在の遊佐町)に移住し、同士を指導して集団農場を拓きました。

佐藤政養碑

国鉄創設の父と呼ばれる佐藤政養は遊佐町枡川生まれです。勝海舟の下で学び、実務派として活動し、横浜開港を勝に進言しました。初代鉄道助として横浜―東京間の開通にあたりました。

歌碑

粟島の周遊道には、粟島のことを呼んだ有名俳人・歌人の歌を刻んだ石碑が、およそ1kmごとに建っています。